アフリカのいま 知る絵本
子どもの日常描く現地出版作品紹介 村田はるせ
西アフリカの人々が手がけた絵本を研究し、日本で紹介する活動を続けている。コートジボワールやベナン、ブルキナファソ、セネガルといった国々を訪れて絵本を集め、作家や画家、編集者に話を聞いてきた。
ここに挙げた国々で出版される絵本のほとんどが、現地の公用語のフランス語で書かれている。1960年まで続いたフランスの植民地支配の影響が残っているのだ。今でも学校の授業はフランス語。書店や図書館の本も、大多数はフランスから輸入されている。
輸入された絵本に、アフリカの子どもたちの生活が描かれていることはほとんどない。主人公も舞台も遠く離れたヨーロッパのことばかりになると、アフリカの子どもたちが登場人物に共感してお話にのめり込むのは、難しくなってしまう。
この状況を懸念して、アフリカの日常や文化が描かれた本を、アフリカで出版する試みが90年代に本格化した。その先駆者がコートジボワールの作家、ヴェロニク・タジョだ。彼女は同国北部に住むセヌフォという民族の布絵に触発された繊細な図柄の絵本を描き、アフリカの豊かな伝承の世界を子どもたちに紹介するようになった。
彼女の最初の絵本「おどりの神さま」は、都市化の中で忘れられた伝統的な仮面の神を描く。仮面は昔を知らない都会の子どもたちに「都会で途方に暮れた時、悲しくなったとき、私を呼びなさい」と語りかける。
タジョはヨーロッパ人が描くアフリカについて「善意にあふれてはいるが、細部を見ると現実とは違う」と評している。豊かな自然とか、戦争、貧困、飢餓とか、アフリカと聞いて想像しがちなイメージも間違ってはいない。でも、それだけがアフリカではない。子どもたちは、もっと多様な現実に直面し、喜んだり悩んだりしている。
同じコートジボワールの作家ファトゥ・ケイタの「すえっこシナバニ」は、小さな弟の世話に気を取られる両親を見て、不安になった少女シナバニが主人公。赤ちゃん返りしてぐずる彼女の姿は世界中の家庭で見られる光景だろう。ミュリエル・ジャロの「ビビはいや」シリーズの主人公は幼稚園や雨、野菜が嫌い。登場人物の服装や家の様子は西アフリカだが、ビビみたいな子はどこにでもいそうだ。
2000年代に入るとベナンの「アフリカの小川」という出版社が、周辺国の小規模出版社との共同出版を始めた。経営者のベアトリス・ラリノン・バド自身も作家だ。彼女たちの努力を通じ、現地出版の児童書の流通が増え、作家や画家が育つ土台が、少しずつだが整ってきている。
私は90年代に青年海外協力隊としてニジェールに滞在し、そこでアフリカ文学の魅力を知った。帰国後、アフリカ文学を大学で勉強する中で偶然知り合ったコートジボワールの映画監督にタジョを紹介され、2001年からたびたび西アフリカ各国を訪れている。
同地の子どもの読書環境は、日本と比べものにならないほど貧しい。それでも作家や画家に小さいころの話を聞くと「物語の中に入ろうとするかのように、本を耳の下に置いて寝た」などと、本への愛を語ってくれる。
こうした西アフリカの絵本事情を知ってほしくて、15年から日本各地で絵本展を開いてきた。18年にはタジョの絵本の日本語訳「アヤンダ おおきくなりたくなかったおんなのこ」(風濤社)も出版できた。ささやかな活動が、アフリカを知る入り口になればと願っている。(むらた・はるせ氏=アフリカ文学研究者)