大学教育と職業生活 広がる「段差」、実践で是正
立教大学教授 中原淳氏 課題解決力が重要/議論だけでは不十分
立教大学の中原淳教授は、大学を卒業し職業人になってから要求される能力は高まる一方なのに、大学教育がこれに追いつけず、両者の「段差」が広がっていると指摘する。
教育機関から輩出される人材が、いかに職業生活に適応し、円滑なトランジション(役割移行)を経て活躍できるのか――。筆者は民間企業における人材開発研究を行っている研究者である。この立場から先の問いに向き合うとき、両者の接続関係には直ちに改善すべき点があるのに気付く。端的に述べれば、現在、職業生活で必要になる能力水準の伸びに、教育機関で獲得できる内容の進展が追いついていないことである。
議論を単純化していることは自覚しつつ、この関係を図示すると別図になる。教育機関で教えられる内容と職業生活において仕事をなすために必要な能力水準の差を模式的に示したものである。
図に見るように、以前から教育機関と職業生活の間には「段差」が存在していた。しかし、かつてはこの段差1は、それほど大きくはなかった(左)。それ故に、企業はこの段差を研修や職場内訓練(OJT)で埋めてきたのである。
しかし時代が変わり、現在は教育機関と職業生活の間の段差が大きく開きつつある(段差2)。原因は職業生活において求められる仕事が高度化していることである。
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具体的には、ホワイトカラーであれば英語などの語学力が必須になりつつあり、多様な国籍の人々と社会における課題解決を情報通信技術(ICT)などを用いてチームワークを発揮し、スピーディーに行わなければならなくなっていることなどが、想起される。
かつてならば、段差2は企業に入ってからの企業内人材育成で埋めればよかった。しかし、今やそれだけでは不足である。筆者の見立てによれば、この段差2に対する対応を誰がどのように担っていくのかについて、この10年ほど教育機関と企業は口角泡を飛ばした議論と責任のなすりつけあいをしてきた。
もちろん、両者は何も行っていないわけではない。教育機関も、十分とは言えないまでも教育改善にまい進している。座学・講義形式の一辺倒であった授業を見直し、アクティブラーニングの導入を進めているし、学校が組織ぐるみで教育改善を果たすための努力も多々行っている。初等・中等教育でいえばカリキュラムマネジメント、高等教育でいえば教学IR(学内の様々なデータを収集分析して教学改善にいかす活動)なども成果をあげている。
同様に企業も何も行っていないわけではない。かつての企業内教育は経営者の「わたしの教育論」をもとに組み立てられることが少なくなかった。しかし、近年の企業内教育はデータ重視、理論重視の傾向にあり、いかに効果的な人材開発を行うかを志向している。
だが、残念なことに、いまだにこの段差2の差は縮小してはいない。その一方で、ビジネス領域における東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国の猛追は激しく、このまま何もしなければ、日本企業・日本社会は国際的な競争力を失いかねない。教育機関も企業も、いつまでも悠長な議論をしている時間はない。
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「議論」も重要だが「実践」も必要なのだ。かくして筆者も、他の教員陣とともに自校にて実践に取り組んでいる。
筆者の勤務する立教大学経営学部では学部開設当初から、企業との連携授業を行い、大学1年生から企業の経営課題解決に取り組ませ、学生のリーダーシップ能力を高める教育を行ってきた。
企業からのテーマは、企業の人すら何が「正解」なのか、わからないテーマばかりだ。新たな時代に即した新規事業の提案や既存事業のリバイバルプラン……。学生たちは、チームになってこれらの課題を探求しつつ、時に企業の社員からアドバイスを受け、プレゼンテーションを3カ月かけて完成させる。授業には教員のみならず、企業人や経営者など多様な人々が参加し、フィードバックを行う。そのなかで、チームワークをいかに発揮するかが問われる。
チーム内では、定期的に360度フィードバックし合いながら、自らのリーダーシップ行動を補正し合う。他人の目を通して自分を見つめ直し、「セルフアウェアネス(自己認識)」を高める。
立教大学経営学部は全学生にこうした経験をさせることで課題解決能力を育成し、かつ専門知への興味関心を高め、将来職業生活でいかす能力の獲得を目指している。
大学院教育でも2020年度から、経営学を基盤にしつつ、企業で人材開発・組織開発・リーダーシップ開発を推進できるプロフェッショナル人材の育成をめざして、新コース「リーダーシップ開発」を設置する。
7月に開いた入学説明会には、定員10人に対し600人を超える参加があり、手応えを感じた。新コースの設置によって、立教大学から毎年、企業で「人づくり・組織づくり」を担える高度職業人を送り出し、企業の人材開発のレベルと質の向上に貢献できると期待している。
これらが筆者らの「段差2」への挑戦だ。「議論がいらない」とは断じていわない。しかし、「実践」なき「議論」はどこかむなしい。実践しながら議論を行い、議論を行いながら実践したい。まずは「実践」の時である。